たあログ

心も身体も健康でいたい、そんな人間の雑記

新卒で適応障害になってASDと診断された話

こんにちは


今回は私の就職活動から就職後に起こった最悪な出来事についてお話したいと思います。

 

 

私は大学3年生の時、「就職」という言葉に焦らされていました


周りは内定が決まり、自分は焦っていくばかり


でもやりたいことが見つからない

自分は何が向いているのかわからない

そんな悩みを抱えながら就職活動


今まで協調性を求められてきた環境から自己アピールしてくださいって…

社会がわからない…

そう愚痴をこぼしながら数十社の会社説明会に参加し、履歴書作成、面接を繰り返しました


面接で言った答えは正解だったのか

自分を伝えるってどういうことなのか

自分は一体何なのか…


お祈りのメール、お祈りのメールさえ来ない企業…


そんなことが繰り返される毎日でストレスを発散できないまま1日1日が過ぎていくばかり

視野も狭くなって正常な判断ができないまま家から近いある病院の医療事務として勤務することになりました


この判断が後に自分を苦しめることになるとは知らずに…


配属先は医師事務の中の医師事務作業補助者という部署でした

仕事内容は、予約受付、入院・検査案内、医師の代行として診断書の文書作成や電子カルテの入力などでした


しかし私にとってはこれらの作業はとても辛く苦しい業務でした


なぜなら命に関わる人の予約、入院・検査案内、電子カルテの入力…

ミスなんてしたら大変なことになる


たとえ医師事務でも、病院に就職するということは失敗があってはならない責任感のある仕事だと頭で理解していました。

でもいざ実際仕事を経験してみると失敗するとどうなるかという恐怖が勝ってしまっていたのです


また、部署内の人間関係も一部を除き最悪でした。

彼女たちは自分のことで精一杯でイライラして

新人が失敗しても自分で処理しなければいけない

食堂では同じ部署内の人の愚痴愚痴愚痴…

そんな環境でした


そんな嫌な先輩を見ているうちに私は職場に行くのも仕事をするのも怖くなりました


毎日が怯える生活で、頭が回らなくなった私は、電話対応や対面で話すことができなくなっていました


そのため患者さんからも医師からも強い言葉で叱られ自分自身が嫌になり、落ち込んで落ち込んで、自分を見失ってしまいました


そんな毎日が続いたある日

家に帰る途中、意味もなく涙が止まらなくなりました


拭っても拭っても涙が止まらない


その次の朝には体が起き上がれませんでした


しかし謎に責任感が強い私は起き上がれない体を無理矢理起こして出勤しました


でも出勤した後も体に力が入らず

自分が生きているか死んでいるかわからない

そんな状況になっていました


おかしいと感じた私は友人に紹介してもらった心療内科に行きました


そこで診断されました


適応障害ですね。」


…え?


「診断書出しますけどどうされますか?」


…は?


頭が真っ白になった私は、とりあえず始めたばっかりの仕事なので薬を飲んでみて様子を見ますと言って帰りました


しかしながら処方された薬を飲んでも

朝は起きれない

涙は出てくる

自分が生きているか死んでいるかわからない

何をしても楽しくない

食欲もわかない

そんな毎日が続いていました


今思えば診断書もらってすぐに辞めていれば良かったと思います


これ以上辛い毎日が続くと自分が壊れると感じた私は泣きながら上司に辞めたいと伝えました

すると上司は早急に辞める手配をしてくれました


そしてようやく私は会社を無事辞めることができました


会社を辞めて数日後、適応障害と診断された時に医師から

心理検査(: 性格や特性がわかる検査)を受けてみませんかと言われたのを思い出し、予約の電話をしました


検査内容は

質問に答える筆記、パズルや間違い探し、数字の暗記や語彙の説明などだったと思います。


そしてようやく結果が出ました

そこで知ったのは自分がASD(自閉症スペクトラム障害)だったということです

しかしショックどころか、ほっとした自分がいました


なぜなら、

今まで「なんでこんなこともできないの?」と

自分に問い、自分を責めてきたことは

仕方がないことだったと証明できたからです。


ASDについて調べてみると私の性格によく当てはまるなと思うことが多々ありました


私は昔から


・1人が好きで周りに合わせるのが苦手で、コミュニケーションを取ろうとすると空回りしてしまう


・理解力がない

理解したことを言葉で考えたり、言葉で伝えることができない


・マルチに動くことができない

複雑になればなるほど手が止まってしまい、ミスを連発してしまう


こんなことができないなんて私はダメ人間だ

生きている価値がない

そう思って生きてきました


でも検査であらためて知ってこれはASDの特性だったんだと思うことができました

 

検査結果の最後の行にはこう書かれていました


「苦手なところは誰でも持っています。大切なことは得意なところを伸ばしていくことでしょう」


検査結果によると私の得意なことは


・手本があると見て考える力が強い


・手指はよく動き手順通りに単純作業を行うこと


・特定なものに没頭すると高い能力を発揮

などと書かれていました


初めて自分の得意なことを知ることができました


嬉しかった

なぜ就活前に受けなかったんだろうと後悔までするほど…

心理検査は1万円を超える高額な検査でしたが、受けてみる価値はあると思いました

 

 

適応障害になって約3ヶ月

次に働く場所は

心理検査の結果から食品工場がいいんじゃないかと考え

人生で初めて食品工場(ライン作業)で働くことを決めました


すると驚くことに、手先が器用だったようで、教えられた仕事はすぐできてしまいました

今まで感じられなかった「仕事が楽しい」と言う感情にもなりました

また自己肯定感も上がり、少し自分に自信がついたと思います


そして食品工場での仕事は1年半続けることができました


適応障害のおかげで人が怖くなって恐怖で怯えていた自分


今でも人が怖いという気持ちは完全には無くなっていませんが、食品工場で働くという決断をしたことは自分にとって大きな一歩だと思っています

 

 

今回の経験で学んだことが2つあります

1つ目は焦って正常な判断ができない時は一度立ち止まって家族や友人に相談する、そして視野を広くすることが大切だということ


2つ目は仕事を決める時は憧れや好きなことではなく自分ができそうなことを中心に考えること

そのためには自分の得意なことと苦手なことを理解しておく必要があるということ

 

私は新卒で就職した職場で適応障害になり

心理検査ASDと診断されたことで

気づくことができました


だからその経験は無駄ではなかったと思っています


しかしながら今回の経験で接客と電話対応はトラウマになって出来なくなってしまいました

 

一度傷ついた心はいつまでも消えることなく傷跡になって残ってしまったようです

 

でも自分の苦手を知ることができたのは私にとってプラスです


これからも自分のペースで

辛くなったら自分に耳を傾ける

そんな人生を送っていきたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生時代に母と死別してから学んだこと

こんにちは


今回は学生時代に母と死別して起こったことをお話します。

 

 

私は高校に入学してから3ヶ月後の6月、突然母が他界しました


あまりに突然の出来事で信じられず、棺に入っている母を見ても、ただ眠っているだけ、絶対帰ってくる、そう信じていました


でも現実はそんなはずはなく、いつまで待っても帰ってこない


なんで?なんで?

母を失ったことを受け入れることができない私は涙が止まらない毎日でした


時が過ぎていくと、私は次第に責任感を感じるようになったのです

私が母の代わりにならないと

母がやっていたことを私がしないと


そして私は家事とアルバイトをはじめました


しかしながらそんなにうまくはいきませんでした


初めてのアルバイト

慣れない家事

ストレスと寂しさから冷蔵庫にあるものをあさって食べて

深夜の2〜3時ごろ就寝

次の日学校に行って…


そんな日々が続いたある朝、倒れました

救急車で運ばれました


今考えるとそりゃそうなりますよね


なんで無理したんだろう


なんでもっと周りに頼れなかったんだろう


甘えたかった


頼りたかった


でもできなかった


家族も同じ悲しみを抱きながら生活しているのに自分だけ甘えるなんてできなかった


でも自分が無理をしていたことがわかったのでアルバイトは辞めることにしました


すると今までアルバイトに費やしていた時間が家事をする時間になりました


するとどんどん心が病んで引きこもりになっていきました


家事のことで頭がいっぱいで

勉強も集中できず友だちと遊んでいてもどこか上の空で楽しくない


なんで私だけこんなこと…

いつのまにか誰かと比べて悲しくなったり、皮肉を言うようになってしまいました


誰も助けてくれない


もう母はいないし

相談もできない

自分で解決するしかない


でも自分が何が好きで何が嫌いなのか、自分の限界もわからない


ストレスで胸が苦しくなる


精神が安定しない


歩いてるだけで母のことを思い出す


何も集中できない


楽しいと感じない


家事のせいで勉強ができない

家事のせいで友だちと遊べない


同世代の人たちがどんどん成長していくのを見るのが辛い


人と会うのが億劫になる


寂しさ・ストレスで爆食いしてしまう


キッチンで冷蔵庫のものあさって座り込んで食べる

食欲はおさまらない

だってこの気持ちをどこに吐き出したら楽になるのかわからない。だから食べて飲み込む

寂しい。だから食べて幸福を味わう


自分の感情を押し殺し続ける

自分がわからなくなる

何が好きで何が嫌いなのか、何が楽しくて何が辛いのか


ずっと生きている心地がしない


そんな日々が10年続きました

 

 

母との別れから10年経った今、学んだことが3つあります


とにかく無理をしないこと

私は学校に行って家事をして勉強をする体力もなくリビングで寝る

そんな生活が続いていました

明らかにおかしい生活ですよね

リビングで寝てしまうくらい心身ともに疲れていたんです

それに気付かず生活していると必ずどこかで崩れます

休んでください

学校でも仕事でも休んで

あなたの身体の方が学校よりも仕事よりも大切だということ

忘れないでください


一度心療内科に行ってみる

身近な人を亡くすと自分でも想像できないくらいのショックがやってきます

ましてや私の場合は思春期に私を産んでくれた母親が突然亡くなってしまっため

ショックの受け口があまりに小さすぎて精神がどうしても追いつかない

自分が生きているのか死んでいるのかわからない

そんな気分が晴れない生活が続いていました

誰に相談していいのかわからない

相談してもわかってくれる人なんていない

そもそも自分の感情を言葉にできない

だから心療内科に行っても話できないだろうし

そもそも話を聞いてもらうことで迷惑がかかってしまうんじゃないか

そんなことを考えてしまいなかなか行けずにいました

でも実際はそんなことはありません

話ができなくてもいいし、先生も優しい人は優しい

心配なら、起こった出来事や精神状態をメモに書いて先生に渡すのもおすすめです


一度家族と離れてみる

学生時代は難しいですが

一度家族と離れて過ごすことも大切です

これは心療内科の先生から提案いただいたのですが

私は24歳の時、アルバイト代を貯めて約1年間一人暮らしをしました

結果的には実家暮らしに戻るのですが、父や兄弟の家事に対する考えが良い方に変わっていて

家事に協力的になりました

一度家族と離れて過ごすことも必要なのかもしれません

 

 

最後に、いろいろ学んだことはありますが、1番大切なのは一度立ち止まることだと思います。

みんな、小学校(7-12歳)→中学校(13-15歳)→高校(16-18歳)→大学・短大・専門・就職…(18-23歳)と進んでいくと思います。

はたしてみんながみんな、そんなうまく心も身体も成長できるでしょうか

私はそうは思いません

そんなにみんな同じじゃないとだめでしょうか

普通はこうだから…そういう固定概念は捨てた方がいいかもしれません

周りが気になって比べてしまう気持ちわかります

でもそのこと以上に大切なのは自分が今どう言う状態でどういう感情なのかを理解してあげ、自分のペースで進むことが大切だと思うんです


周りと比べて焦る必要なんて必要ないんです

学校や仕事にに行くのが辛いなら休めばいい

心と身体を休めて自分の状態を理解してあげてほしい

当時の私はできませんでした

だから今後悔する日々を送っています

無理しないでください

辛い時は辛い、嫌なことは嫌って分かる自分でいてください

自分に嘘なんかつかなくていいんです

無理して身体動かさないでください

休んでいる自分を嫌わないでください

その休息は絶対に必要なんです